銀座線浅草駅で下車、吾妻橋から向う岸にわたり隅田川に沿うように清澄通りを深川方面に向かって彷徨い歩く。
嘗て、都市が人のものであった頃、人とモノとの行き交いは道と川によっていた。
荒川水系や利根川水系を中心とした川によって、今では想像だにできぬ山間の町との交易が盛んに行われていたのだそうだ。
千葉の野田で醤油醸造が盛んであったということが、今の僕には俄かには理解することができなかった。
そのためには、道と川の機能が解らなければならなかったのだ。
清澄通りが春日通りと交差する本所一丁目を過ぎ、蔵前橋通り交差点角に差し掛かる。
交差点右手に「東京都復興記念館」とある。
大正12年9月にあった関東大震災からの復興を記念して震災を現代に語り継ぐモノが静かに展示されているのだった。
現在の墨田区や江東区は、火災で一体が猛火に包まれ、その熱が猛烈な熱風となってあらゆるものを吹き飛ばした。
立木に引っかかっているのはオイルコートされた防寒コートではありません。ブリキの板なのですよ。
この革細工のような塊は、火災の熱で溶解した大日本麦酒吾妻橋工場の鉄骨。
館内には、震災直後の東京各地域の様子が写真資料から窺い知れるようになっていて、更にはその後の復興の様子が人々の生活の視点も含めて今の我々に訴えかけてきます。
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