またこれも主を失った山小屋である。しかし、考えてみると山小屋と主という関係とはなんであろうか。
そもそも所有ということの意味は、人間社会という閉鎖系の中でのみ便宜的に考え出された概念なのであるわけだから、仮にその系のなかから「所有」を抜き去ってしまった場合、世界はどのように変化するのだろうか。
閉鎖系の中で人間は、対応するものとしてよく「自然」というものを持ち出すのではあるれど、ここでいう自然とは如何なるものを指示しているのだろう。
世界から人間を引いたもの全てが自然ということができるとするならば、人間が向き合っているつもりの「自然」とは世界のほんのごく一部でしかないことに気付くだろう。智者たちが可能な限りの探求の果てに相当数の自然物に対して「名づけ」をしてきているわけだけれども名づけられたモノは、その瞬間から忘れられるモノに反転して意識の外側へ消えてゆくかもしれない。
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